最近は幸福とは何か、どうやって平穏に暮らす事への正当性を示すのか、あるいは平穏に暮らす事に正統性はあるのかを考える。

自由や富は犠牲の上に成り立つという論理があるいっぽうで、極端に言えば迫害や不幸を避ける基本思想もあり、それがぶつかり合って折り合いを付けるのが困難な状況である。

この世では人はどうあるべきなのか、何をするべきか、奉仕、慈しみ、哀れみ、その様に知識として知っている事の他に神的な意志があるとすれば何か。

その様な自問自答を繰り返して途方に暮れる。


コメントを残す