人は、道徳や信仰を突き詰めようとすると必ず文明から遠ざかるのが良いのではないかという結論に至ったりする。

欲、金、願望、享楽、娯楽、その類の物が全て悪だと思い、世俗から離れるのが聖人であるとすら思ってしまう。

だが、それを極め尽くした時のゴールは自給自足である。

聖人になりたいなら自給自足をするしかない、文明と離れ、一切の娯楽を捨てるしかない。

だが、果たしてそれが道徳の極みなのだろうか。

私はそれについては否定的である。

この文明社会で、文明と交わりながら、普通の生活をする、娯楽を楽しみ、テクノロジーを使う。

その様に現代文明との交わりの中であれこれと考える事の方が重要だろう。

仮に、自給自足で文明から離れたとしても、人は聖人にはなれないし、欲からは逃れられない。

そもそも、聖人になるために自給自足しようという事その物が「欲」である。

添加物の食べ物を食べ、マクドナルドを食べ、野菜を食べ、肉を食べ、良い事をしたり悪い事をしたり、成功してみたり失敗してみたり。

所詮人間はその程度の生き物であり、完全に神の様に振る舞う事など出来る訳がないのだ。

もし、このゲスの様な生き物の中で最も聖人に近い人がいるとすれば、イエスキリストが心にある人だろう。

もはや、人間が出来る事はそれが限界なのだ。

それゆえに救いが必要なのであって、人が完璧になれるのなら救い自体不要になる。

救いが不要な人とは、おこがましい人である。

わかりやすく言うなら、人間はしょぼいのだ。

しかし、神の創造物であるゆえに、高貴なものなのだ。

つまり、神の高貴な被造物である人間は、おこがましくなってはいけないのだ。


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