お金が月末に無くなるとひもじい思いをする場合とそうでない場合がある。

毎月少しでも積み立てて貯えて行って離れた懐が少しでも暖かいと、月末に金がなくてもそんなには寂しくない。

いざとなれば必要なだけの資源はある、引き出さないという事は、窮地ではないし、安全で、持ち金が無くてもなんて事ないという事が分かる。

金がない?いや、その場合、使う必要のない時なのだ。

これは、しっかりと収穫の時に、収穫のない時の為に保存する作物の様なものであるから、真っ当な行いである。

一方、一切貯えずに月末に金がなくなるのは身も心も寂しい。

人は神によって生きると分かっていても、貯えてもおらず、手持ち金もないのはひもじい。

もしも必要になった時は危険であり、誰かに頭を下げて借りる必要も出て来る。

そうなると、使う必要がない状況でも、貧しさを沸々と感じてしまうのだ。

人は神によって生きるのだから、貯金など必要ないとしても、やはり生きる上で自分の選択というものは、大きな分かれ道を作る場合もある。

面白いことに、金を貯めだすと、心に余裕が出て来て、金がなくても安心になり、だんだん無駄な金を使わなくなって来る。

そうやって少ない資金でも貯め行く事は、賢い文化である。

どこの誰が、収穫物を全部食べてしまえと推奨するか。

とはいえ、キリスト国民は神によって生きているので、そこまで気にする必要はないのだが、一応全て使い果たしてしまう様な癖は取り除いておきたいものだろう。

天の国に、収穫物を何も考えず全部使ってしまう人がいるかと考えた時、そんな人がいる可能性は極めて低そうだ。


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