人の自殺動画に人が殺到するという現象があるが、それは実際サイコパスの集まりなのか、そうではないのかを考えた時に、そこまでサイコじゃなくても他人の自殺動画には何とも思わないのではないだろうか。

おそらく誰もが見たとしても「可哀想」「こんな世の中許せない」「何とかして助けたい」くらいには一旦思うものの、その2秒後には全く別の事を考えているものだ。

また、日々ニュースで殺人事件やら不幸なニュースが流れているが、それでも人は次にAmazonで欲しいものを検索したりする。

道で救急車が現れれば、心配したり正義感で車を横につけたりして協力する程の優しさは皆持ち合わせているが、実際その患者の事をそれ以降心配し続ける人はいない。

これは実態であって、人とはその様な生き物であり、これが社会の思考パターンである。

それゆえに、他人が知らない人の事を心配するという事は、人間の性格上おき得ないのだ。

もしそれが起きるならば、人はいつも居ても立っても居られず、あらゆる不幸なニュースを見ては嘆き、普通に生きていく事すら出来ないのである。

人には心配するべき人やグループがあって、その自分が心配するべき人を心配する事が自然の原理なのだ。

その様に俯瞰して人の性質を考えると、実際人というのは生きて行く上でのテリトリーや関連の範囲という物があり、その広がりに応じて段階やレベルが変化していく。

例えば配偶者や親などはレベル10

兄弟はレベル9

友人はレベル8

という風に、生活圏の中に、関連性のレベルが必ず生じており、心配する人の範囲も決まっている。

その原理を通り越して偽善者丸出しの発言をする者は、自分が無知な者だと言い回っている様なものであろう。


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