世の中お金じゃない、いや、お金だという議論は、無知を極めた愚か者がする事である。

世の中がお金だけで成り立っている訳がなかろう、大地はあらゆる成分で出来ており、空気にも、木にもあらゆる物が詰まっているだろう。

人間には皮膚や血液、臓器や骨があり、それを形成する物は更に小さい。

それに、全ての物は神の物である。

何故この様な複雑で無限の構成要素を持った世界を、お金という一括りにしたりしなかったりするのか、考えただけで寒気がする。

だいたい、この世はお金じゃないという者でも、働きに行って給料をもらうのだ、もし金じゃないというなら金をもらうな。

この世で食事をしたり歯医者に行ったり、全ての事に対価を支払う必要があり、それは経済であって、その流動性は人間の血液が循環していないと死んでしまうのと同じく、人間全体の血液の様な物である。

マネーというのは実に中立であって、それ単体では自分で何もする事が出来ない。

それを使うのは人間であり、良くも悪くも使うのは人間の意思や選択なのだ。

インターネットを犯罪に使う人や慈善事業に使う人がいる様に、それ自体はいつでも中立で、問題は使う人にあるという事を全く理解出来ない野暮な人間こそが、「世の中お金か、お金じゃないか」という野暮な議論を交わそうとし、偽善者として振る舞うのである。

マネーとは、いや、全てのインフラは中立である、それをどうするかが問題なのだ。

もしも金持ちがそれを悪や罪に使えば、それは罪の金である前に、その人が罪なのだ。

金が自分で動いたならまだしも、動かない。

真の富豪というのは、単にマネーを貯蓄しているのではなく、多大なる経済の流動性の中にいるだけである。

それは、金を「持っている」という事とは意味が全く違う。

世の中金じゃないという人とは、話す気がしない。

何故なら、世の中がマネーで出来ている訳ではないし、それは中立な物なのだから。

お前の皮膚はマネーで出来ているのか?道路の素材はマネーか?

とはいえ、私はたまに世の中金だという時がある、しかしそれは冗談や皮肉を交えてのことだ。


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